「丁寧な暮らし?うざいうざい!俺にゃぁむりだねぇ、へっへっへっ♪」
「丁寧な暮らし」と聞くと、どのようなイメージを持ちますか?SNSを開けば、インフルエンサーや有名人が発信する理想的な生活があふれています。
しかし、一方で「丁寧な暮らし うざい」と感じる人が増えているのも事実です。
完璧すぎる投稿の数々を見て、「あれは自己顕示欲の表れでは?」と感じたり、非現実的な例に「痛い」とさえ思ったりすることもあるでしょう。
また、節約や貧乏とは対極にあるような暮らしぶりに違和感を覚える人もいます。
この記事では、なぜ丁寧な暮らしがうざいと感じられるのか、その特徴やSNSでのあるあるを深掘りします。
中には、完璧を目指すことをやめた人々の声や、いわゆるていねい な暮らし症候群とも言える心理についても解説します。
- 「丁寧な暮らし」がうざいと感じられる心理的背景
- SNSで見られる典型的な「あるある」と具体例
- うざいと思われる行動の共通点と特徴
- 「丁寧な暮らし」疲れとの上手な付き合い方
丁寧な暮らしがうざいと感じる理由
- 丁寧な暮らしをしている人の共通点
- うざいと思われる行動の特徴とは?
- SNSで見かける「丁寧な暮らし」あるある
- 周囲が「痛い」と感じるポイント
- 背景に見える過度な自己顕示欲
丁寧なくらしの特徴
- 「今、ここ」に集中する 食事、掃除、仕事など、目の前のことに意識を集中させ、気持ちを込めて行います。
- 手間と時間をあえてかける 効率やスピードだけを重視するのではなく、あえて手間のかかることを選びます。例えば、インスタントではなく丁寧にドリップコーヒーを淹れる、出汁(だし)を昆布や鰹節からとる、などです。
- モノを大切にする 流行や価格だけで選ぶのではなく、自分が本当に気に入ったもの、質の良いものを厳選し、手入れをしながら長く大切に使います。
- 自分軸を大切にする SNSなどで見かける他人の基準(「〜〜すべき」)に合わせるのではなく、あくまで「自分がどう感じるか」「何が心地よいか」を最優先にします。
- 季節感を大切にする 旬の食材で料理を作ったり、季節の花を飾ったりすることで、自然の移ろいを感じ、生活に彩りを加えます。
丁寧な暮らしをしている人の共通点
SNSなどで目にする「丁寧な暮らし」をしている人には、いくつかの共通点が見受けられます。
最も顕著なのは、生活の「見せ方」への意識が非常に高いことです。
もちろん、日々の生活を大切にしていること自体は素晴らしいのですが、その発信内容は、生活のポジティブな側面や「映える」瞬間だけを意図的に切り取ったものが中心になりがちです。
例えば、常に整理整頓された部屋、手作りの保存食が並ぶ美しいキッチン、こだわりの食器やインテリアなどが挙げられます。
このような発信は、見る人によっては「完璧すぎて現実味がない」と感じさせ、うざいという感情につながることがあります。
「見せ方」を重視する人の共通点
- 使用するアイテム(食器、家具、衣類)に強いこだわりがある
- 家事や料理のプロセスを美しく演出しようとする
- 生活感を意図的に排除した空間づくりを行う
- 発信する写真や動画のクオリティ(構図や色味)が非常に高い
また、特定のルーティン(朝活、手仕事など)を重視し、それをストイックに実行している点も共通しています。
このストイックさが、見る人に「自分には真似できない」「息苦しい」という印象を与えてしまう側面もあるようです。
うざいと思われる行動の特徴とは?
丁寧な暮らしそのものが悪いわけではなく、うざいと感じられるのは、その見せ方や行動に特定の特徴がある場合です。
最大の特徴は、自分のライフスタイルを他者に「押し付け」たり、優越感が透けて見えたりする点にあります。
本人はそのつもりがなくても、発信する言葉の端々に「これが正しい生き方だ」「こうすべきだ」といったニュアンスが含まれていると、読者は強い抵抗感を覚えます。
無意識のマウントに注意
「まだ添加物入りの食品を食べているの?」「忙しいを言い訳にしない私」といった表現は、本人が意識していなくても、他者のライフスタイルを否定する「マウント行為」と受け取られがちです。
これが「うざい」と感じられる直接的な原因となります。
さらに、以下のような特徴もうざいと思われる要因です。
1. 過度なスローライフの賛美
現実の生活では効率やスピードが求められる場面も多い中で、非効率な手仕事や極端なスローライフだけを賛美する態度は、現実離れしていると受け取られます。
「そんな時間があるのは恵まれているからだ」といった反感を生むこともあります。
2. 現実離れした理想論
子育てや仕事で忙しい人にとって、毎日完璧に家事をこなし、手料理を作り続けることは困難です。
そうした現実を無視したかのような「理想の暮らし」ばかりが提示されると、「自分はダメだ」と責められているように感じてしまい、発信者に対して嫌悪感を抱くことにつながります。
「普通はこうだよね?」という言葉が、実は一番の押し付けかもしれません。
人それぞれの「普通」があることを忘れてはいけませんね。
SNSで見かける「丁寧な暮らし」あるある
SNS、特にInstagramなどでよく見かける「丁寧な暮らし」の投稿には、特定の「あるある」が存在します。
キッチン・食事編
- 朝起きたら、まず白湯(さゆ)を飲む。
- コーヒーは豆から挽く。ハンドドリップで丁寧に淹れる。
- 「季節の手仕事」に忙しい。(梅仕事、らっきょう漬け、新生姜のシロップ、栗の渋皮煮など)
- ぬか床を持っている。または自家製味噌、塩麹など、何かしらの発酵食品を自作している。
- お米は土鍋で炊きがち。
- 野菜は「地元の直売所で買った無農薬(または減農薬)」。
- キッチングッズにこだわりがある。(野田琺瑯の保存容器、柳宗理のボウル、工房ものの木のカッティングボード、曲げわっぱのお弁当箱など)
- 器(うつわ)が好きで、お気に入りの作家さんのものを少しずつ集めている。
- パンやスコーンを自分で焼く。「#おうちカフェ」
- 食べ物を絶対に無駄にしない。野菜の皮で「ベジブロス(だし)」を作ったり、古くなったパンでラスクを作ったりする。
住まい・暮らし編
- 観葉植物がたくさんある。そして、みんな元気。
- 部屋には常に(一輪挿しでも)季節の花が飾られている。
- ドライフラワーを吊るしがち。
- インテリアは北欧系か、古民家風の和モダン。
- 使っている布製品は、だいたいリネンかコットン。
- 掃除は重曹、クエン酸、セスキ炭酸ソーダを使い分ける。
- モノは少ないが、ひとつひとつに「物語」がある。
- 「持たない暮らし」やミニマリストに憧れ、定期的に断捨離をする。
- なぜか朝の目覚めが早い。
趣味・マインド編
- お気に入りの万年筆やボールペンで、手帳や日記(ほぼ日手帳など)をつけている。
- 「小さな幸せ」という言葉を多用する。
- 靴下やセーターの穴を、ダーニング(繕い)して大切に着る。
- 天気の良い日は、窓辺で読書。
- たまにデジタルデトックスを試みる。
SNS編(ちょっと皮肉も込めて)
- Instagramの投稿は、明るく、ふんわりとした色調で統一されている。
- ハッシュタグは「#丁寧な暮らし」「#暮らしを楽しむ」「#日々のこと」「#おうちごはん」。
- なぜか自分の「足元」の写真を撮りがち。(お気に入りの靴下と床、など)
- キッチンツールの「壁掛け収納」が整然としすぎている。
- 投稿のために、普段以上に頑張って部屋を片付ける。
いくつ当てはまりましたでしょうか? 理想と現実のギャップに悩みつつも、日々の生活を大切にしようとする素敵な心がけですね。
周囲が「痛い」と感じるポイント
「うざい」を通り越して「痛い」と感じられてしまう場合、そこには「現実感の欠如」と「努力の方向性への疑問」が大きく関わっています。
例えば、小さな子どもがいるにもかかわらず、リビングに汚れ一つなく、おもちゃも完璧に収納されている様子。
これは素晴らしい努力の結果かもしれませんが、見る人によっては「不自然だ」「そこまでして見せたいのか」という違和感につながります。
「嫉妬」とは異なる感情
「痛い」と感じる感情は、単純な「嫉妬」とは異なります。
嫉妬が「羨ましい」という感情の裏返しであるのに対し、「痛い」は「見ていられない」「共感性羞恥を覚える」といった、対象への疑問や憐れみに近い感情です。
また、生活の全てが「見せるため」に最適化されているように見える点も、「痛い」と感じるポイントです。
例えば、非常に手間のかかる非効率な家事ルーティンをあえて行い、「手間ひまをかけることこそが豊かさ」と語る姿。
これが、現代の忙しい生活の中で効率化を求める多くの人々にとって、自己満足的なパフォーマンスのように映ってしまうのです。
背景に見える過度な自己顕示欲
丁寧な暮らしがうざいと感じられる根本的な理由の一つに、発信者の「過度な自己顕示欲」が透けて見えることが挙げられます。
もちろん、SNSでの発信には多かれ少なかれ自己顕示欲や承認欲求が伴います。
しかし、そのバランスが崩れ、「丁寧な暮らし」が承認欲求を満たすための手段として利用されていることがあからさまになると、見る人は強い嫌悪感を抱きます。
1. 高価なアイテムのアピール
暮らしの質とは直接関係のない、高価なブランド食器やデザイナーズ家具、高級家電などを不自然にアピールする行為は、「丁寧さ」を隠れ蓑にした自慢(マウント)と受け取られます。
2. 暮らしぶりを語るポエム
「朝の光を浴びながら、豆を挽く私」「季節の手仕事にいそしむ、豊かな時間」といったポエム調の文章。
これらは、「こんな素敵な生活をしている私」を過剰に演出していると見なされ、自己顕示欲の表れとして「うざい」「痛い」と感じられがちです。
「丁寧な暮らし」そのものではなく、「丁寧な暮らしをしている私を見て!」という圧力が、うざさの原因かもしれませんね。
暮らしを豊かにするための工夫が、いつの間にか「他人からどう見られるか」という評価軸にすり替わってしまうと、それはもはや「丁寧な暮らし」ではなく、「自己顕示欲を満たすための活動」になってしまう危険性があります。
「丁寧な暮らしはうざい」論争の背景
- 影響を与えるインフルエンサーの投稿
- 具体的な「うざい」と感じる例
- 丁寧な暮らしと貧乏のギャップ
- 完璧を目指すことをやめた人々
- 丁寧な暮らしにうざいと感じたら
影響を与えるインフルエンサーの投稿
「丁寧な暮らしはうざい」という感情が広まった背景には、SNS、特にInstagramやYouTubeで活動するインフルエンサーの存在が大きく影響しています。
彼ら・彼女らが発信する「丁寧な暮らし」は、多くの人にとって憧れの対象であると同時に、強烈な違和感の原因にもなっています。
その理由は、彼らにとって「丁寧な暮らし」は「仕事そのもの」である場合が多いからです。
インフルエンサーの投稿は「広告(PR)」を含む
インフルエンサーの投稿には、企業からの依頼によるPR案件(タイアップ)が数多く含まれます。
紹介するキッチン用品、オーガニック食品、インテリアなどは提供品であることも多く、その投稿は「リアルな生活」というよりも「理想的に演出された広告」なのです。
そのため、彼らの投稿は、「理想化された非日常」としての側面が強くなります。
生活感を徹底的に排除し、PR商品を魅力的に見せるために、現実の生活とはかけ離れた完璧な空間が演出されます。
視聴者は、それが「作られたもの」であると薄々気づきながらも、あまりに完璧な姿を見せ続けられることで、「どうせPRでしょ」「現実的じゃない」とうざい感情を募らせていくのです。
具体的な「うざい」と感じる例
「あるある」よりも一歩踏み込んだ、具体的な「うざい」と感じるシチュエーションや発言の例を見てみましょう。
これらは、しばしば他者への批判や自己陶酔を含んでいます。
シチュエーション・発言の例 | うざいと感じる心理的背景 |
---|---|
早朝4時起きの自分に酔う投稿 | 「こんなに努力している私」というアピールが過剰で、睡眠時間を削れない人を否定しているように聞こえる。 |
「忙しい」を言い訳にしない私 | 「忙しい」と言わざるを得ない状況の人々への配慮がなく、優越感(マウント)が透けて見える。 |
手料理の食材への過度なこだわり | 「この塩でないとダメ」「この農家の野菜しか使わない」など、排他的なこだわりは他者の選択を否定する。 |
パートナーや子供の演出 | 家族さえも「丁寧な暮らし」を演出する道具のように扱い、プライバシーを切り売りしているように見える。 |
「持たない暮らし」と高級品 | ミニマリストを自称しながら、数少ない持ち物が全て高級ブランド品である場合、矛盾と自慢を感じる。 |
特に「〜しないなんて信じられない」「〜は体に悪い」といった他者の選択を強く否定する表現は、たとえ事実であったとしても、強い拒否反応を引き起こします。
これが「丁寧な暮らし」のイメージ全体を悪化させる一因となっています。
丁寧な暮らしと貧乏のギャップ
本来、「丁寧な暮らし」とは、物を大切にし、工夫を凝らして生活を豊かにすることであり、必ずしも裕福である必要はありませんでした。
むしろ、限られたリソース(お金やモノ)の中でいかに心地よく暮らすかという、節約や「始末の良さ」(貧乏の美学)と地続きのものでした。
しかし、現代のSNSにおける「丁寧な暮らし」は、その様相が異なります。
「結局、お金がないと丁寧な暮らしはできない」と感じさせる要素が非常に多いのです。
SNS映えするアイテム、例えばデザイナーズ家具、高価な調理器具、オーガニック食材、こだわりのコーヒー豆などは、全て相応のコストがかかります。
「貧乏」や「節約」をテーマにしながらも、背景に映り込む高価な家電や、たまの贅沢として紹介されるオーガニック食品が、むしろ経済的な余裕を感じさせ、「これは本当の節約ではない」というギャップを生み出します。
「始末の良さ」と「SNS映え」の違い
本来の「丁寧さ」が、残り物で美味しい一品を作る「始末の良さ」だったとすれば、SNSの「丁寧さ」は、高価なオーガニック野菜で見栄えの良い料理を作る「SNS映え」です。
このギャップが、「丁寧な暮らし」と「貧乏(節約)」のイメージを切り離し、うざいと感じる一因となっています。
完璧を目指すことをやめた人々
SNSで描かれる完璧な「丁寧な暮らし」に疲れ果て、「もう完璧を目指すのはやめた」と宣言する人々も増えています。
これは「丁寧な暮らし疲れ」とも言える現象です。理想と現実のギャップに苦しみ、自分を追い詰めることに疲弊した結果、「自分らしい、楽な暮らし」へとシフトしていく動きです。
この流れから、「ズボラ家事」「しない家事」「頑張らない」といった、完璧を目指さないライフスタイルが新たな共感を呼んでいます。
<アマゾンに飛びます>
丁寧じゃない生活を営むアラサーズボラ主婦のライフスタイル
アラサーズボラぼっち主婦による、見れば見るほどクセになるライフスタイル
「頑張らない」ことへの肯定
例えば、以下のような発信が支持を集めています。
- 食洗機、ロボット掃除機、乾燥機付き洗濯機など、時短家電を積極的に活用する。
- 料理はミールキットや冷凍食品も上手に取り入れ、手作りに固執しない。
- 掃除は「ついで掃除」で済ませ、完璧な清潔さを目指さない。
完璧な「丁寧な暮らし」を目指して疲れてしまうより、家電やサービスに頼って心に余裕を持つことも、立派な「自分を丁寧にする暮らし」ですよね。
SNSデトックスを行い、他人との比較から距離を置く人も増えています。
完璧なインフルエンサーの姿にうざいと感じた人々が、より現実的で持続可能な「ほどほどの暮らし」を再評価し始めているのです。
丁寧な暮らしにうざいと感じたら
- 「丁寧な暮らし」がうざいと感じるのは自然な感情
- SNS上の姿は演出された一部であると理解する
- うざいと感じる背景には自己顕示欲やマウントがある
- インフルエンサーの投稿は仕事(PR)である場合も多い
- 「痛い」と感じるポイントは現実感の欠如
- 丁寧な暮らしあるあるに共感しすぎない
- 高価なモノ=丁寧な暮らしではない
- 本来の丁寧さは節約や工夫(貧乏)とも両立する
- 完璧を目指すことをやめた人々の声も参考にする
- 自分にとって心地よい暮らしが一番大切
- 他人の価値観に振り回されない
- 情報(SNS)とは適度な距離感を保つ
- 「ていねい な暮らし症候群」に陥らない
- うざいと感じたらミュートやフォロー解除も選択肢
- 自分の「好き」を大切にする
コメント